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2016年5月 1日 (日)

(29)「李」(スモモ)

スモモ(李)(バラ科) 花期5月~6月ごろ

スモモは、日本古来のものかと思っていたら 中国から来たものだそうだ。 それも、江戸時代よりも古くから。

「長英逃亡」(吉村昭)の、高野長英が、福島と米沢の間にある「李平」に「スモモの花見」に行く大店の一行に紛れ込み 通交の番所を通り抜けたことを書いてある。

「桜の花見」ではなく「スモモの花見」、これに私は驚き、心の中に 強く残っている。

私の子供の頃、スモモは、農家の敷地には、必ずと言っていいほどあった。 それは、食糧難の時代に「実」を食用にしていたのか、と思われているようだが、梅漬けのように漬けていたことはない。

スモモは、果物などない北の地に たわわになる美味しい「実」。 おじいちゃんは「お前たちが、よその家のものを盗んで食べたりしないように」植えてあるのだと教えてくれた。

グスベリ(グーズベリー)グミも、孫のために植えているものだったのだ。

スモモの木がある家は、それは孫がいると言うこと。

つまり、その家には未来があると言うことだ。

その未来も、変わりゆく時代の諸事情で離農せざるを得ない家も出てきた。

近代農業の象徴であったサイロさえ いつしか無用のものになった。

春になると、朽ちた家と使われていないサイロに寄り添い 真っ白な花が咲く。

秋には、誰も拾ってくれない実を二百十日の風が落とす。

<朽ちてゆく光陰のあり花すもも>2004年作

<父祖の地のぬくみ集めてすもも咲く>2012年作

(俳誌 樺の芽 2016 5月号)

(1)スモモとサイロ (豊富町)

292_700

(2)スモモと廃屋(豊富町)

292_72_800

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コメント

歴史、ですねぇ。
どの家にもきっと、喜びと悲しみ、楽しみと苦しみがあって、それもすべて、時と忘却の彼方。

そうですね、歴史を感じます。
自分が育った家を見るのも辛いものがありますね。
想い出も朽ちてゆきます。

こんなこと言いたいのに才能ないから、言えなかった!
水仙だけがいっぱい咲いてるのを見る度に「家朽ちて、人去りて、水仙だけが春の風に揺れていて・・・」そうだ、花柄さんの言うとおり、想いでも朽ちてゆく・・・

ちるままさん、今日はご苦労様でした。
廃屋って、思い出のつまったものなのですがね。
スイセン、オニユリ、イチイ、いつまでも生き続けています。
言葉が言えたら「誰かたまには来てよ」といいたいかも。

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